ドゥキドゥキ☆女子会(仮)のお忍び温泉旅行の巻(※ただし男子(真性)は除く)

 事の発端はグループにて龍之介が言い放った他愛ない一言だった。
 『今度、みんなで旅行行こうよ』
 定期的に旅行の話は出るものの、今回の旅行の提案はあまりにも期間が短かった。何せ、前回いつもの一行で旅行に行ったのはつい先日、ほんの二ヶ月前のことだった。
 前回は思い切ってハワイを旅行地に選び、少し変わった季節のバカンスとして全員が能天気な観光地を楽しんだ。三泊四日の計画で実行されたハワイ旅行は決行前からそれぞれが念入りに計画を立てた大掛かりな旅行になったはずだ。
 『龍之介、この間ハワイに行ったじゃないか』
 龍之介の発言に素早くウェイバーが返信した。その後すぐに、ケイネスも続けて『またハイペースでの提案だな』と告げる。
 それぞれがインターネットで繋がり、こうして定期的に意見交換会が成されていた。もちろん全員混合のグループ以外に、こうしてメンバーを選りすぐり、わざわざ分けてグループを作っている。
 『というか、何故このグループで旅行の話を?』
 雁夜がふと、問いかける。このグループは所謂“受け”側のメンバーが集っている。いつも旅行の提案は全員混合のグループで誰かが呼びかけているのだが、今回に限り、何故か龍之介は“受け”側のグループでのみ話しかけているのだ。
 『それは僕も思った』『言うところ間違えた?』
 雁夜の発言にウェイバーと切嗣が続いた。
 『いやいや、俺はこのグループのメンバーに言ったんだよ〜』
 すぐに龍之介の返信が送信された。
 どうやら旅行云々の話は龍之介が狙って発言しているようだった。
 『え、それは一体どういう』
 『だーかーらー。このグループの面子だけで旅行なんてどうかな、と』
 衝撃的な発言に龍之介以外のメンバーは驚きを隠せないでいた。時折、このグループのメンバーだけで意見の交換会を兼ねた食事会は開いていれど、単独で旅行は思ってもみなかったことだからだ。旅行になると、必然的に行くメンバーは全員、という計算になってしまう。むしろ、全員行く、ということしか考えたことがないくらいである。
 『…なんか、新鮮な感じがするな』
 『かんがえたことがなかった』
 ようやく浮上してきた時臣もやっとのことで反応を示した。携帯機器の扱いには未だに慣れていないらしく、平仮名のまま送られてくることが多いのが時臣の特徴だ。
 『どうよどうよ、超COOLじゃない?』
 本日一度目のCOOLが出てきた。龍之介の口癖が飛び出したということは、彼はかなり今回のことについて本気で検討しているという合図のようなものだった。
 『まぁ、面白そうな提案だとは思うが、今回ばかりは不参加のメンバーが多いんじゃないか?』
 切嗣が龍之介を除く全員が気にしていたことを率直に述べた。それもそうだ。彼らの恋人は全員、形は違えど、人並み外れた執着心を持っている。多少弁解すれば許可を出す者もいれば、恋人を決して一人にさせまいとする者も確実に存在する。切嗣はその面については自分が一番分かっているつもりだった。自分と何とも言えない関係にある言峰綺礼はこういうことについてかなり敏感な人間だ。それに加えて、人の不幸を尊ぶ歪んだ愉悦主義者でもあるため、許可がおりない事は、聞くまでもなく予測できるのだ。どうせ、絶対に許可を出さずに、眉間にしわを寄せる切嗣を見て、いつもの如く『愉悦だな』と言うのだろう。
 『それは私も同じことを考えていた』
 『そうそう仕事以外に一人で外泊を許してくれるような奴じゃないんだ』
 『う…それ、ウチもだ』
 やはり自分だけではなかったらしい、と切嗣は安堵の息を漏らす。
 すると、間髪いれずに龍之介が『ウチもそんな感じだけど、今回はお忍びでどうかな〜、なんて』
 何とも軽いノリだった。
 まるで恋人を簡単に騙ってしまえる、とでも言いたげな口ぶりに数名は若干悪寒を覚えた。脳裏に浮かぶのは貼り付けたような笑顔で頭に角を生やした恋人の顔だ。『どこに行ってたの?』とでも言いたげな顔が今にも思い浮かべられそうだ。
 『ちょ、ちょっと待て、龍之介』
 『んー?』
 『それは俺たち全員にリスクを背負え、とでも言うのか』
 数人は正直に弁明してしまえば、許してくれるかもしれない。だが、執着心の鬼を恋人に持つ面々は謝れど許してくれないのは目に見えていた。
 『リスク…うーん、俺の予想だと、この面子だったら普通に皆OK出してくれると思うんだけど』
 『まぁ、身内同士の旅行みたいなものだから危険とかはないと思うけどなぁ』
 許してくれそうな恋人を持つ者たちは既に『まぁ、いいか』という雰囲気を出している。それ以外の、“許してくれなさそう”な恋人を持つ数名は戦慄している真っ最中だ。
 『こう、なんというか、スリルがあっていいんじゃない?』
 恐ろしくも愛おしい恋人からの制裁を一時の“スリル”で片付けられるのは、本当にひと握りの者だけだ。だが、参加したいのは本音である。
 『スリルか…』
 『そうそう。ってなわけで、参加不参加の出欠とっていい?』

 結果は驚くべきものになった。
 あれだけ躊躇っておきながらも、なんだかんだで全員が“参加”することになったのだ。スリルを犯して旅行に行くことに興味がわいたのか、以前と比べて全員少し楽しそうだ。
 『なんだかんだ行くんじゃん』
 『楽しそうだから仕方がない』
 『覚悟は出来てる』
 『いまからきんちょうしてきた』
 『…全く、バレた場合、僕の扱いは“被害者”で頼むよ』
 『それはない』
 『そりゃズルい』
 『何言ってんの女王様、参加、って言った時点で俺たちとっくに共犯者だよ!』
 『龍之介が共犯者とか言うと洒落にならない』
 『(´>ω∂`)てへぺろ☆』
 
 かくして水面下で徐々にお忍び旅行計画はスタートしたのである。

燃費が悪い 2

目覚めると、一番に薬品の臭いが鼻を掠めた。
「うっ」と嗅ぎたくもない不快な香りがやけに鮮明に鼻腔を刺激する。ついこのまでは蟲のせいで五感すら失われ、そろそろ嗅覚まで潰れかけていたというのに。なのに、今こうしてはっきりと匂いを感じられることが俺からすれば不思議でならない。
それよりも、なんで俺は薬品の臭いが漂うホテルに居るのだろう。明らかにここは病院ではない。俺の知る病院は壁の色や床のカーペットの模様に凝ったりしない。それに窓がこんなにおおっぴらに作られている訳が無い。
「俺、教会で話聞いてて……バーサーカーを残す事にして…あれ、その後どうなったっけ」

見えない筈の左目を押さえた。まるで白内障のように真っ白く、光を奪われた左目は奇怪以外の何物でもない。完全に視力を失っていた筈の左目はどうしたことか、薄ぼんやりとだが、俺の掌を映している。
はっきり言って何がなんだか理解できない。
教会で、神父の前で、
バーサーカーは現界させておく事にする」と宣言した所までは憶えているのに。

何で俺の体はボロボロだったはずなのに、こんなことになっている。

正直言ってキャパオーバーだ。
なら、振り返ればいい。思い出せないのなら、記憶が途切れるその時まで。

あの時確かに俺は神父を前にバーサーカーを残留させる事を決めた。神父の後ろに居た他のマスター達は驚いた顔をする。そりゃあそうだ。一番厄介なサーヴァントを、既に要介護状態レベルで危険なマスターがこの世に残留させる事を決めたのだから。
バーサーカーは…まだ現界させる。ちゃんと俺が面倒を見る」
まるで捨て犬のそれのようだ。でも、ここには『元いた場所に返してきなさい』と怒る奴は居ない。むしろ、『ボロボロの死に体が何を言うんだか』と笑う奴ばかりだ。
思えばその時、既に俺の息はいつもの如くゼェハァゼェハァと気味悪く変化していた。フードをかきあげて、もう一度部屋の隅のバーサーカーを見ると、あいつは俺の宣言を聞いてか、目をかっと見開いて驚いた顔をした。
一瞬目が合って、すぐに逸らされる。バーサーカーの長い長い髪がひらりと揺れた。それを不覚にも綺麗だ、と思ってしまう。いつもは甲冑の奥で燻っていたのだろうか、癖の強い長髪が、アイツが目線を逸らす度に柔らかく揺れた。
「…本当にいいのかね。他のサーヴァントはともかく、君の場合は辛いことになるぞ」
いつもは口を出さない神父が今に限って口数が増えた。恐らく俺の体を思ってのことだ。どうせ残り少ない命だ。聖杯戦争が正常に終えていれど所詮はすぐに燃え尽きるはずだった命。それならなるべくバーサーカーのために使ってやりたいと思った。先の戦いで共に苦を味わったのは同じだ。なら、好きにさせてやる事が報いではないだろうか。そう思った。今更、バーサーカーの事は道具とも戦いのためのサーヴァントとも思えない。ならこんな命でも、使わないよりは幾分マシだ。
「心配はいらない、どうせ俺は死に体同然だからな」
自嘲すると、気の毒そうにライダーのマスターが眉を顰めた。
その時だったか、真後ろから聞き覚えのない声が俺を呼びかけた。確かに、微かな声ではあったがはっきりと『雁夜』と。

そこまでは鮮明に覚えている。
だが問題はその後だ。ここからはまるで欠落したように何も覚えていない。

「ようやく目が覚めたか、気分はどうだね。間桐雁夜」

突然ドアが開く。入って来たのは驚くべき事に、あのランサーのマスターだった。確かケイネスと言っただろうか。
そしてその後ろからは意外な男が着いてくる。そう。ランサーだった。俺はてっきりあの時教会にて、このケイネスはランサーとの契約を断ち切ったものだと思っていた。しかし、ケイネスの後ろにランサーが居るということは、彼もまたサーヴァントを現界させたままにしておく事を決断した一人なのだろう。
「…ランサー。てっきり契約解消したものかと」
「ふん、折角手間を掛けて召喚した上にこの私に散々迷惑をかけたのだ。この借りは返してもらわなくては元が取れまい」
はっきりと割り切った答えに、彼らしさを感じた。

「それよりも間桐雁夜、体の調子はどうだね」
「鼻が利く。あと左目が少しだが見える」
「どうやら成功だ。顔の痕は少し残るが、君は既に一般人とさほど変わりないくらい健康になっている」

ほっとしたような、だが、トゲのある声音でケイネスが告げた。
いきなりの発言は嬉しいとも思えず、ただただ驚きだけがこみ上げた。
「そ、それはどういうことだ」
「ほう…覚えていないか。間桐雁夜、君はあの後倒れた。その後私がここに連れ帰り治療を施した訳だ。私以外にも治癒の魔術師に長けた者が助力したがね」

燃費が悪い

ひょんなことから聖杯戦争が中止にな、早ひと月が経とうとしている。
常に気まぐれで、人ではその全てを測りきれない聖杯は、あんまりにもあっけなく、忽然と姿を消した。
教会はすぐさまに使い魔でくマスターとサーヴァント両人を協会に招致し、その事を説明した。今回の聖杯の消失はもはや解体と同じレベルでの出来事で、修復不可能であること、そして、此度の聖杯戦争は無期限中止、所謂、打ち切りで幕をおろすことになった。
それを聞いた時の他の参加者の顔は今でも忘れられない。明確な願いを持っている奴はみんなしてひどい顔をする。かく言う俺も願いがない訳ではない。むしろ、俺には確実に叶えなければならない願いがある。ふと脳裏で赤いリボンが揺れた。

「…桜ちゃん」

その呟きは誰に拾われることもなく、教会の広間に消えた。こちらを見る神父の顔が一瞬歪んだ気がした。

その後、教会から俺たちに言い渡されたのは、今後の事だった。
キャスターのマスターとサーヴァントは、少し離れた椅子の隅でつまらなそうに各々で談笑をしている。それを睨むセイバーのサーヴァント。不穏だ。
幾度か質問が飛び合い、最終的に教会側から提示されたのは、
『今後、聖杯戦争が起こる事は恐らく無い。しかしサーヴァントは消えていない。故にそれぞれのサーヴァントの処遇を決定して欲しい』
と言ったものだった。
簡単に言えば、『サーヴァントと別れるか、このまま現界させておくか』と言った感じだ。魔術師からの魔力供給があればサーヴァントは半永久的に現界することができる。ふと、周りを見回すと、ライダー陣営とキャスター陣営は顔を見合わせ、少しだけ嬉しそうな顔をした。それなりに互いに悪い気が無いからこそ、この両陣営は笑顔になれるんだろう。それに反して他の陣営はあまりにも淡白だ。“別にコイツが消えたからと言って名残惜しいものはない”とでも言ったような表情が、俺はどこか許せなかった。
恐らくランサーのマスターは確実にランサーとの契約を断ち切ると踏んでいる。あの二人の間に漂う空気は言わば、浮気された夫と嫁を誑かした事が公になった後の間男のようだ。
教会の一番後ろの列の長椅子にひっそりと腰掛けて、傍観する。俺はあまり過激に動けないのだ。

『間桐雁夜、君はどうするつもりだ』

俺に一点集中した鋭利な目線と、横に立つ監督役の神父の声で、俺は目が覚めた。どうやら眠っていたらしい。
「…え?」
壁に掛かった時計を見ると、あれから軽く一時間は経っていた 。
俺を見る他のマスターたちは、まるで『迷惑だ』とでも言いたげな顔だ。その中には憎き遠坂時臣も混じっている。本当に憎たらしい。
「他のマスター達は皆、今後の事について決定した。あとは君だけだ」
「あ、あぁ…」
我に返る。
そう言えば俺は最初から自分の事について考えていなかった。他の奴の様子を伺ってばかりで、自分の事を忘れようとしていたのだ。脳裏に、暴れ狂うアイツが過る。
「…バーサーカー
狂化の代償として理性と正常な判断を断たれた俺だけのサーヴァント。俺の魔術師としての経験不足が故に幾度となく制御することが出来なかった、哀れな存在。普通ならバーサーカーのクラスのサーヴァントなど、すぐにでも消してしまいたい程に厄介な筈だ。バーサーカーとして現界する以前が騎士だったとしても、そのクラスが与えられたが故に騎士道なんてものは紙屑みたいに消える。しかも融通が効かない。言葉が通じなくなっているからか。単純な命令なら通じるものの、令呪を使わない限り精巧な命令は不可能に近い。加えて燃費が悪い。俺の付け焼刃の魔術回路ではバーサーカーを現界させる事が精一杯な筈だ。それをこれまでは戦地に赴かせていたと思えば、俺たちは互いに苦しみあっていたのだろう。
聖杯戦争がなくなった。その事を俺の頭と体は存外簡単に受け入れている。なら、バーサーカーを俺は解放するべきではないのか。聖杯の加護が消えかかっている今、恐らくバーサーカーの狂化は解けている。なら、丁度いいかもしれない。いつまでも、こんな死にかけの俺に付き合う必要はない。
辺りを見回し、バーサーカーを探す。案の定、周りに馴染めずにアイツは教会の広間の隅にもたれ掛かってはこちらを一瞥した。いつもの甲冑は今は身につけていない。本来の姿のアイツは今にも消え入りそうな雰囲気をしていた。

「早く決めたまえ」

決定を迫られる。そう、いきなり問われて決められる問題ではないのは知っている筈なのに。

「…俺は」

かみさまどうか

非日常とは存外ありふれたモノなのかも知れない。
実際、自分が今こうやって勤務するこの学園ですら世間一般では非日常の類に分類されるのだろう。魔法使い、ではない。あくまで魔術師。このポリシーはそうそう揺るがない。

そう考えると、自分も随分と歳をとったと実感する。
あの頃の自分はそれはそれは卑屈で、稚拙で、吹けば飛ぶような弱さが特徴だった。今でこそ程よく鍛えた体も、その昔は骨と皮だけで構成された人形みたいだった。不健康気味なのは今も昔も変わりないものの、確かな弱さが過去の自分にはあった。
世間の波に揉まれて、現実を受け止め、先へ進む。その先駆けを成してくれたのは間違いなくあの人だ。いつになっても僕の記憶の中で眩しいくらいの笑顔でふんぞり返る唯一無二の王が、僕の元から去って早十数年。本の古臭い香りだけが漂っていたはずの自室には、微かにタバコの香りも仲間入りした。嗜む程度のそれは、思いの外依存してしまう。この手のことに関してヘビーな奴の気持ちが分かった気がした。
本当は邪魔で仕方ない髪も束ねればどうにかなる。幸い、身長は伸びた。顔つきも純朴な少年だったあの頃の面影を少しだけ残し、がっしりしたものになったと思う。教育機関で教鞭を執る立場であるが故に、子供らしくては示しが付かないというものだ。今では、その昔に自分を散々と苦労させた亡き恩師よりはいい体型になったと自覚している。
明日返却する予定のレポートをひとつひとつ纏めると、さっとファイルに仕舞う。すっかり手馴れてしまった作業に苦笑いがこみ上げた。
あぁ、平和だ。戦争も何もない。危機感を持たずに生きて行ける。あの英雄たちが見れば呆れるに違いない。それでも、僕たち人間にはこれくらいが丁度いい。

だが、時々、ほんの戯れ程度に望んでいる。
“また、あの人と一緒に居たい”と。
絶対に叶わない願い。例えどんな魔術師や魔法使いでも成し得ない願いだからこそ、その些細な願いは今も胸の中で輝く。胸中に浮かべる、あの人の顔。もし、今、目の前に現れたとしたら。
「ふっ…子供じみている」
願いを軽く笑い飛ばす。
叶わないからこそ、あの日胸の中に散った想いと思い出が、張り裂けそうな程愛おしかった。

「おう?坊主、随分と立派になったではないか」

ほら、今もこうやって忘れる筈がないあの声の幻聴が聞こえても、それすら温かい。

「…何言ってんだ、ばか。見違えるほど成長してやったての」
「これは驚いた。これではもう、持ち上げてやれない」

うるさい。もうアンタに支えられなくても生きて行ける。
だから、やめてくれ。
寂寥感がこみ上げた。
あぁ、真後ろで、僕のすぐ後ろで、あの人の声がする。
きっと疲れているのだ。だからこんな幻想を見たりする。
会いたくない。

…いや、ホントは死ぬほど会いたい。
今では不釣り合いに違いないけれど、あの大きな躰に今すぐしがみついていたい。

「…っばか。女々しいこと考えたくないんだよ、消えろ」
「こりゃ驚いた。この後に及んでまだ幻覚扱いか」

やけに口答えしてくる幻覚だ。
元からこういう人だ、というのは解っているのに、僕の中のあの人は、こんなにも近い。
少しだけ寝よう。
こんな幻想は断ち切ってしまわなくてはならない。いつまでも過去に縋るのはよくない。
ふらり。真後ろにダイブする。その瞬間、頭部に伝わるクッションとは違う感覚に、既に閉じられた瞳と、すっかり凝った肩が跳ねる。まるで人肌のようだ。しかし人肌と言えど、決して柔らかすぎることはない。むしろ硬いと形容できる。
あぁ、こんなところまで幻覚が入り込んでいる。これは相当重症だ。思慕の念もここまで来れば執着にしかならない。全く、この歳になってこんな幻を見るとは。

重い瞼をやや薄めに開いてみる。部屋のオレンジのライトを逆光に、確かにソイツはここに実在する。

「…ほんとに、居る」
「今更か」

あぁ、上手く頭が回らない。
あぁ、また会えた。
あぁ、やっぱり好きだ。今も変わらずに。

「…会いたかった。遅いぞばか」

(笑)

高校二年になった春、両親の転勤で私は数度目の転校をすることになった。
 やってきたのは、前の家からさほど遠くないところだった。両親は転勤が多い職種に従事する身なので、もちろんマンションや家は購入できない。車も買ったら買ったで次に転勤した際に、車が置けなかったり通れなかったりしてはいけないので、泣く泣く購入を断念。
 今回も、父の会社が用意した大きめの新築アパートに入居することに。学校は遠くなってしまい、高校二年という何とも中途半端な時期での転入になった。
 だがしかし、ここにも難点があった。
 前の学校からも遠い新しいアパート。しかし、これから通うことになる学校からも、そのアパートはかなりの距離があったのだ。立地状況は悪く、父と母が勤める会社は近けれども、私の通う高校からは遠い遠い。
 テレビでよく目にする大手引越し業者のトラックが私と荷物を運ぶ。
 これからどうしようか。朝の何時くらいに出れば学校に間に合うだろう。気苦労は増えるばかり。
 トラックの運転手さんがふと、私に聞いた。
 「アンタ、こっちに来たらどこの高校いくんだっけ」
 「・・・あ、立海です」
 「えっ、ここからだとかなり遠いよ。高校生なんだし、学校の近くに小さい借家でも借りたほうがここから行くよりいいと思うよ。ここら辺、夜暗いし」
 遠い。暗い。移動費が馬鹿にならない。
 何という三重苦。ふと、昨晩、人気動画サイトの(笑)動画で聞いていた曲を思い出す。不幸続きの休日を某国の民謡に合わせて歌った悲しけれども笑いがこみ上げるあの曲。
 もしかしたら、私もこれからあんな状況になりかねないということだ。全くシャレにならない。
 手元にしっかりと抱えたダンボールの中のマイクがコトリ、と揺れる。
 あぁ・・・歌いたい。
 「ん?そのダンボール、何が入ってんの?」
 「えっと、マイクとかです・・かね・・ハハハ」
 「カラオケとかに使う・・・あのマイク?」
 「そ、そうですけど・・・」
 ずいぶん前に充電切れになった携帯がポケットの中に鎮座する。いつもなら、某つぶやきったーで「暇なうwwww」なり「ハ〇太郎先輩一生付いていくっす!」なんて呟いているはずなのに。
 運転手さんとの不毛な会話も続かないもので、荷台の中の洋服を入れたダンボールがどさり、と倒れた嫌な音がした頃に、やっと私は新居に到着した。
 見てのとおり、周囲は団地。団地。団地。私が住むことになるアパートもきっと社営住宅なので大きな音が自然と出せない。
 手元の箱の中のマイク(名前はマイちゃんだ)がかわいそうじゃないか。
 荷物が降ろされ終わったあと、父と母は私を新しい家に入れた。何でも編入手続きの書類を仕上げろとのこと。
 そして、住所欄で私の手が、ふと止まる。言い出すなら今しかないだろう。
 「あ、あのさ、お父さん。さっき、運転手さんが教えてくれたんだけど、ここら辺、夜になると暗いらしいんだ。そっそれにね!新しい学校・・ほら立海、だっけ。そこからもかなり遠いし、移動費馬鹿にならないらしいんだ!」
 「・・・・何だ?お前」
 「だからね、学校の近くに借家でも借りたほうがいいかなー・・・なんてアハハハハ」
 父はそこまで厳格な人ではない。むしろ優しすぎるくらいだ。母も父と似ている。だからこそ、今ばかりはしっかりと自分の意思を告げねばならない。
 度々ネットで話題になる、幼児期から大学入試まで支えてくれるゼミの勧誘に付属している何ともブッ飛んだ設定の漫画の主人公のように、「俺っ、頑張るから!サボらないから!」と必死にいうことが大事、って今だけ思った。すると、母がぽつりと言い出す。
 「さとる・・・それって一人暮らし?」
 「う、うん・・・そうなるね。父さんと母さんはここから離れられないだろうし、私もほら、受験とかあるからさ、もう転校・・とかそういうの出来にくい時期じゃん?」
 あたかも、優等生ぶった発言。実際は転校が多いため、各々の学校に付いていくための学力はついているつもりだ。大学受験もそこまで苦労はしないと踏んでいる。
 「ねぇ、あなた。もうそろそろさとるに一人暮らしさせてもいいんじゃない?これまで散々私たちに付いてこさせちゃってた訳だし」
 ナイス母。その言葉を待っていた。
 「・・・まぁ、ここら辺と比べれば夜も人通りが多いし、明るい。さとるに限って夜遊びもしないだろうし、まぁ、社会勉強を兼ねてここは話を飲んでやるとしよう!」
 ありがとうお父さん。いや、お父様。きっと、マイクのマイちゃんも喜んでいる。
 「やったぁ!・・けど、住む所、あるの?街の方に」
 「それなら、ばあちゃん家に住めばいいだろう」
 「えっ!もしかして、一昨年亡くなったおばあちゃんの家?」
 「あぁ。心配するな、年に二度、掃除業者を頼んであったからな。家はばあちゃんが居た頃のままだから」
 お父さん、おばあちゃん家、すごく広かったよね・・・。私どうなるんだろう。
 「明日、レンタカーでも借りてきてお前の荷物運ぼうか。服やら、そのマイクやらだけだろ。送ってやろう」
 急に告げられた一人暮らし宣言。別にこんなに急がなくても良かったろうに。
 幸い、私の荷物はまだ、ダンボールの中だ。あぁ、CD割れてないよね。
 ダンボールの中には私のこれまでの個人的な思い出のたくさん詰まった恥ずかしいアレやこれが入っている。
 明日、これも持っていこう。私はずっと傍らに置いていたリュックを開けると、充電器を取り出しポケットの中で眠ったままの携帯にやっと、充電をさせてあげた。
 ふと、電源をつける。つぶやきったーを見ると、私が唯一フォローしている、ハ〇太郎が今日も凛々しく活躍していた。
 「ちょーかっけー・・・」
 やはり、謎のときめきを感じるそのハムスター。今日は引越し記念だ。何か話しかけてみよう。
 『明日から一人暮らしです。楽しみの反面、不安ですw』と呟いた。
 そして呟いた瞬間から、私の先ほどのつぶやきに対する反響がすごい。いつもの呟きが少ないからか。
 
 <一人暮らしっすか!オメデトウ(^▽^)ゴザイマース>
 <おおおおおおおおおおおお!ってかやっぱハ〇太郎www>
 
 ちらりと目を通しただけでもかなりの数の人が私の呟きに返信を送っている。
 「あ、あはははは・・・」

 私の名前は野咲 さとる。数日後から立海大附属高校に編入になる二年生。
 (笑)動画内での名前は詩織子。二年ほど前から、(笑)動画内で有名なカテゴリである歌ってみた、に動画を投稿している。
 つぶやきったー内でのフォロー人数3人。フォロワー現在5万弱。
 (笑)動画に投稿した歌ってみたの中での再生回数No,1は120万。
 このことを知っている人はきっと私以外誰もいない。

ぼくは14さい

十四歳になった。
僕に兄弟はいない。
両親もいない。
黒い家にひとりで住んでいる僕と幽霊のユリちゃん。ユリちゃんはとてもかわいいけど、幽霊なのだ。まるで雲みたいにふわふわ浮いていて 、纏うワンピースも卸したてのシーツみたいに白かった。雲みたいなユリちゃんはいつも僕の隣にいて、何も話さないクセに笑顔だった。
僕には友達がいない。ユリちゃんは友達ではなくて、もう家族みたいなものだから、僕には友達がいなかった。別に寂しくはない。だって、今日もユリちゃんは僕の隣だ。
黒い家に映える真っ白なユリちゃんと、僕。
ふたりぼっちで暮らす毎日は平穏で、とても楽しいものだ。しかし、時々思う。ユリちゃんともっと距離を縮めたい、と。その為には何が必要だろう。
僕は、自分に想像できる全てのことを思い出して、ユリちゃんの事を考えた。

その矢先、僕の家に少年がひとり、訪ねてきたのだ。
少年は開口一番に『君の幽霊を譲って欲しい』と言った。何故この少年はユリちゃんの事を知っているんだろう。
家から決して出ない僕以外に、ユリちゃんの存在を知る人は居ないはずだ。
僕と同じくらいの背丈のとても顔の整った少年は、崩れぬ笑顔をしていたがどこか闇があるかのような顔だった。

『ユリちゃんを知ってるのかい』
僕は彼に問う。
彼は未だに笑顔だ。
『もちろんだ。だからこそ、君の幽霊を譲って欲しい』
自信に満ちた声は、僕にとって少々恐ろしいものだ。論破されるのが怖い。ユリちゃんを手放したくない。どこに喜んで家族を捨てる奴がいるか。
僕だけのユリちゃんを寄越せ、とせがむ彼は本当に何者だ。流暢な言葉遣いを聞く限り、頭は相当キレる奴だということがわかる。

やがて来る変えられない結末 第1話

 目を覚ましたとき、心地よい潮風が髪を撫でた。
 明るい日の光が窓から私を射す。この光は朝の光だろうか。妙に心地よい。
 そして思い出す。自分が崖から身を投げたことを。
 あの時の感覚は何も覚えていない。人は身投げをした場合、風圧の関係で気を失ってしまうそうだ。つまり、だ。私は痛みを感じず、やっと死ぬことができたのだ。
 この心地よい環境も、きっとあの世のものなのだろう。真っ白なシーツは少し薬品のような匂いがして、病院を彷彿とさせる。
 この家に自分以外の人は住んでいるのだろうか?ここまで介抱してくれたところを見るに、自分以外の者がいることは確かだろう。
 体を見回しても傷一つない。あの世なのだからそれは当たり前だ、と思うけど。

 『ど、どなたかいらっしゃいますか・・?』

 ベッドから立ち上がり、ドアを開く。
 閑静なその家は人の気配を少しも感じさせない程、静寂に包まれていた。
 だが、部屋を出て耳を澄ませたとき、離れた部屋から音が漏れたような気がした。
 まるで、時間ギリギリまでテスト用紙にペンを走らせているときのような軽快な音。机に鉛筆が紙越しにぶつかり何とも自然な音を出している。
 私はそっと、少しだけ開いたドアの隙間から向こうを覗く。
 絶えずほんのりと香る薬品独特の匂いが鼻を掠めた。
 本当は覗きなんてしたくなかったが、これは仕方のない行為なのだ。今回だけは許して欲しい。
 ふと、ドアの向こうを見た。
 部屋の奥には、こちらを背にして机に向かう奇妙な男が一人、紙にペンを走らせる。
 この家の主だろうか、そう思い私は覗くのを止め、そのドアに向かいノックをした。
 木の温かな音を響かせながら、『すみません』と声をかける。その瞬間、止まったペンの音。きっと私の存在に気がついたのだろう。

 「誰だ・・・もしかして、あの女か?」

 冷徹でまるで感情の籠っていないような声が抑揚もなく語りかける。

 『あっ、その、介抱していただいてありがとうございます・・・』
 「そんなことで話しかけたのか」

 振り向かないまま男は言葉を発する。遠くから聞こえる波の音がやけに目立って聞こえてくる。

 『ここは・・・天国ですか?それとも地獄・・・?』
 「はぁ?お前、何を言っているんだ?自分が死んだとでも思っているのか、馬鹿め」

 くるり、男の椅子が回転し、顔全体が明らかになる。
 禍々しくも、奇妙な色気を放つ全貌は私の視界を惑わせた。そして、彼が最後に言った一言が私の気持ちを鈍らせる。

 『う、うそ・・・そんなことない。私は投身自殺を・・・』
 「あぁ、確かにお前は海に落ちた。厳密には海水が打ち上げられる岩場に落ちた」
 『じゃ、じゃあ、死んでるんじゃ・・・』
 「死んでいない。俺がお前を見つけたとき擦り傷は残っていたものの、致命傷となるような打撲や損傷の跡はひとつもなかった」

 頭を鈍器で殴られたような感覚、とはこのことだろうか?
 不安と恐怖が同時に勢い良く押し寄せる。
 また私はこの体のせいで、死ぬことができなかった。そう実感するだけで涙がこみ上げる。

 「何だ・・・生きていてそんなに嬉しいのか」
 『いやっ!いやっ!私は死にたいのに・・・なんでなのよ・・・』

 それは決して歓喜の涙ではない。死ねなかったことに対しての後悔、憤り、悲しみ。

 「どういうことだ?お前、自殺志願者か」
 『私は死ねない・・・車に撥ねられても、崖から落ちても・・・死ぬことができない・・・』

 その場に崩れ、涙混じりの声で呟く。
 どうして神様は私をこんな体にしたんだろう。これほどまで、誰かを憎んだことなどない。行き場のない怒りだけがひたすら涙となって溢れた。

 「それは・・・本当なのか?・・・お前、死にたいか?」

 彼は少し興味をもったのか、物珍しげに笑いながらこちらに詰め寄る。
 その顔は先程までの呆れた表情ではない。まるで子供が新しい玩具を見つけたような瞳で私を見る。口元は微かに緩み、ほのかに笑みを浮かべている。
 この男、何を考えているのだろう。

 『死ねるものなら・・・死んで・・・しまいたい・・・』

 私がそう告げると、彼は目線を私に合わせた。
 しゃがみこみ、彼と一瞬目が合う。
 その時だった。ズン、と下腹部にとてつもない痛みが走る。鋭利なもので突かれたようなその感覚は、車に撥ねられた時の衝撃によく似ているような気がした。
 腹に手を当て、目線を下腹部に下げる。既に真っ赤に染まった白い寝間着からは銀色のメスが深く突き立てられていた。