「あ〜?さにわ?」
「はい。審神者です」

世の中には私の知らない職業がごまんとある。ふとテレビの変わった企画を見れば、『まさかこんな職業まであったのか』なんて思ったこともあるけれど、まさか自分がその変わった職業に就く事になるとは誰が想像できるだろう。
現在私が働いているのはごくごく普通の商社。ウン百年前とは違って就職率は安定しているのでこんな凡庸な私でもやすやすと就職できたのが今の会社。
なのに。なのに。
普通、変わった職業に従事する人と言えば、それなりに優れた能力があって、それを十分に活かしている印象があったからこそ、私とは関係ない世界と思っていたのに。

「えっと、その、さにわ?だっけ。それはどういう職業……なんでしょうか」
「簡潔に言いますと、歴史の改変を防ぐべく刀剣の付喪神、これを刀剣男士と言いますが、彼らを使役していただく、ということになります」

昼下がり。どこにでもあるようなちょいボロビルの会議室。フクロウの形をした壁掛け時計が間抜けに『ホー』と鳴く。

「……ちょっと理解できないです」
「……もう少し噛み砕いて説明します」
「あっ、ありがとうございます」

学生時代に読んだ本にちらりと出てきた付喪神、というワード。あの時は確か古屋敷の物置に眠っていたお椀か何かだった。
その付喪神を使役して歴史の改変を食い止める、なんて何の冗談だろう。
わざわざ平日、それも忙しい時期に会社に押しかけてきて話す内容ではない気がした。けれど、受け答えをした受付嬢も、上司も、やって来た相手が政府の人間と聞けば、すぐに対応したのはそれくらい、政府が大きい存在だという事を思い知らされる。
……いや、もしかしたら政府に知られちゃまずい事でもしてたから慌ててたのかも、と思ったけれど、いざ政府の人間の口から出てきた言葉が『付喪神』やら『審神者』なら、拍子抜けも良いところだ。

「これは表向きには口にできないのですが、現在、歴史改変主義者、と呼ばれる集団が居りまして」
「あ、はい」
「文字通り、タイムトリップを利用して過去を改変しようとしている集団です。ここまでで分からないことは」
「まず根本からわからん」
「へぁっ?」

目の前のお兄さんが突拍子もない変な声を出す。いかんせんこのご時世、時空間移動機能が発達しているとはいえ、そんな集団がいるとは理解に苦しむ。そもそも時空間移動機能は一般人には現在でも程遠い存在なのだから。

「そんな非現実的なこと信じませんよ」
「それが本当に居るから政府が動いているんです…」
「えぇ…」
「もう何を言っても信用できない感じですよね」
「生まれて此の方、幽霊とか神頼みとかを信じたことがないもので」

いつか本で読んだ例のお椀付喪神も、未だに『寝ぼけてたんだろ』と理解している。
そのことを告げれば、「こりゃ大変だ」とお兄さんは小さく漏らした。いい歳して付喪神なり非現実的な組織を信用しろという方が大変な気もする。

「っ、じゃあ、もういいです。これから僕が言うことは全部本当の事ですから、自己解決でもして聞き入れてください」
「えっ」



それからお兄さんの口から出た言葉はまるで絵本の世界みたいな話だった。やや血なまぐさいけれど。
だって、付喪神と言えば物体に手足と瞳が付いたものとしか思ったことがなかったからだ。お兄さんの言っていた人型をした肉体を持つ刀剣の付喪神が過去の修正を防ぐため身を持って戦う、なんてぱっと聞かされたくらいじゃあ到底理解もできない。

すっかり冷えきった湯呑の中のお茶を一口でごくりと飲み干したお兄さんは「どうかご理解ください」と息切れしながら懇願する。

「…新手の詐欺か何かじゃないですよね」
「公式な政府からの勅命です」
「えぇ…それ拒否するとか辞退するとかは」
審神者候補は全国を探しても数えられる程しか居ません。故に…」
「うわ、あの裁判員制度的な…」
「そうなりますね。しかし危険もそれなりに伴いますから、政府から給金も出ます。福利厚生、衛生面、住居から諸費用全て国が保証致します」
「えっそんな特別待遇アリですか」
「一応国家認可済の職業ですから」
「お、お給金は…」
「月末に支払われます。大体額はこれくらいでしょうか…」




所詮世の中金と知恵。
あの時お兄さんが提示した電卓に示された月給の桁の多さは人を狂わせるには十分な額だった。「えっ、これ手取りで?」「はい。手取り額です」「よろしくお願いします」これまでのやり取りも全部忘れた様に、私はお兄さんに頭を下げていた。
政府公認で、お給金良くて、住居までついてくる。加えて生活に必要なものは全部国の保証付き。怪しい、と思ってしまいそうだけど、二十代前半社員寮に一人暮らし、そんでもって奨学金絶賛返済中の私には願ってもみない話だった。

あれから数日後、会社を退職になった私の元に、黒塗りの車と先日のお兄さんがやって来た。社員寮の荷物を後から来たトラックに載せられて、私も同時に黒塗りの車に乗り込む。これ傍からみたらヤのつく自由業だね、と今更笑い飛ばす。

それから少しだけ車に揺られてやってきたのは、お兄さん曰く、政府持ちの施設だった。
ここで私は審神者としての基礎知識を聞かなければならないらしい。なんでもこれを怠ったせいで過去にとんでもないことをやらかした人もいるとか。肝心のとんでもないことについて、私はお兄さんに聞いたけれど、そこまでは流石に教えてくれなかった。

講習が始まっても、私はまるで理解できずにいた。あの日会社でお兄さんが話してくれた内容をもっと専門的な用語を交えながらノンストップで進められる講習は、大学時代を思い出す。
あぁ、あの教授早口過ぎて聞き取れなかったなぁ、と懐かしい気持ちに浸る。
時々耳に入ってくる単語はこぞって『付喪神』『審神者』『歴史改変主義者』ばかり。多分ここらへんはお兄さんが噛み砕いて説明してくれた所だと思う。
はい。はい。と相槌をうっていれば、知らない間に講習会は終わっていて、講師の女の人に国語辞典並の分厚さがある本を手渡されていた。
ちなみに最後の最後まで話は聞いていなかったので、この本も何の本か実際のところわかっていなかったりする。


「えっほとんど聞いてなかったんですか」
「えぇ、まぁ。お兄さんが言ってた事と同じっぽかったので」
「あぁぁ…まぁ大体向こうで困ったらさっきのガイドを見ればどうにかなりますし」
「やっぱりそうですよね」
「まぁだからと言ってくれぐれも!変な事したりしないように」

お兄さんは私にすっかり呆れているようで、最後の最後まで審神者についての説明をしてくれた。『相手も感情を持っているので、そこらへんは蔑ろにしないようにしてくださいね』という言葉は特にキツめに言われたような気がした。
ちなみに、私の中での刀剣男士は未だに『物体に手足と瞳がついたやつ』というイメージなので、きっと私が刀剣男士達を犬の様な扱いをすると踏んでいるんだろう。
「一応付喪“神”ですし、蔑ろになんかはしませんよ」と言えば、少し疑いの目を向けたけれど、了承してくれた。無神論者が付喪神と共に暮らす、なんて滑稽だと自嘲的になってみるけれど、これも仕事、と割り切れば出来ない事もないだろう。

「では、本丸へ移送致します。こちらへの連絡は向こうの書斎にPCを設置していますのでそれを御利用下さい」
「お、PCとかあるの」
「はい。審神者業務の一環として書類作成もあります故」
「はぁ。んで向こうについたら案内役の誘導に従って指定に部屋に行けばいいんだっけ」
「そうです」

「では、いってらっしゃいませ」と声が掛かる。流石政府。ワープゲートの一つや二つ簡単に使用できるとは。んでもってついこの間まで一般人だった私が利用できるとは。
何 の変哲もないドアを開けば、そこにはおどろおどろしいくらいの真っ暗闇が広がっている。これが所謂四次元らしい。

「…じゃあ、また」



赤い隈取りをした狐、もとい、こんのすけは私の話を聞くやいなや盛大にため息を吐いた。
「主様、もしや今の今までずぅっと付喪神が『物体に手足と瞳がついたやつ』と?」
「え、そうじゃないの?」
「刀剣男士は肉体を持っております!」
「てっきり刀に細っこい手足がついたアレかと」

私の脳内ではずっと、刀に細っこい手足と小さな目がついた生き物がちょこちょこと動いている様子がエンドレスで流れ続ける。
しかしこのタイミングで。新たな職場に到着してからようやく、刀剣男士とはいかなるものか、その全容を聞かされた私は動揺していた。まさか、刀剣男士とは聞いたけれど刀です付喪神の“男”と共に暮らすとは。
「え、刀剣に性別とかあるの」と素っ頓狂な質問に対し、こんのすけが「はぁっ!?」とその可愛らしい成りに似合わない声を上げたのが事の始まりなのだけれど。

若干引き気味な私を他所に、こんのすけは私を奥の部屋へと連れていく。「は!や!く!」と後ろから足をぐいぐい押され、板張りの床を小走りに駆けた。

やっぱり講習会の時、ちゃんと聞いとくんだった。

こんのすけが「ここでございます」とふと、私を押すのをやめれば、目の前には今では滅多に見ない襖があった。

「この中にいるわけ?」
「主様がこちらにいらっしゃる前に五口の中からお一つ選ばれた刀剣男士がいらっしゃいますよ」
「ほえ〜」

ちなみに選ばされた時に見せられたのは刀の写真。その時の私はすっかり『やっぱり物体に手足と瞳がついたアレじゃん』と決めつけていた。だがしかし、どうだろう。これまでの話を聞く限り、この襖の向こうにいるには人型をした付喪神なのだという。

「ちゃんと言葉通じるよね…?」
「心配するところはそこですか」

未だに現実を受け止められない私にこんのすけは至極冷静に応える。

「え〜何か今更緊張してきた。人型してるとか〜」
「何を今更!さっさと入ってくださいっ!!」

襖の前でうじうじする私。その横でいかにも苛立ったこんのすけ。
ついに限界だったのかこんのすけはぴょんと飛び上がると私をドンっと後ろから押した。
「うえぇっ」とカエルが潰れたような声を出して私はその瞬間、咄嗟に襖を開く。流石に襖ごと部屋にダイブするのは怖かった。

どたり、と部屋に倒れ込む。

「ちょっとこんのすけ!いきなり何すんの…よ…」

私は目を疑った。
だって、目の前には白い布を頭からすっぽりと被った男の子が居たんだから。

「え、えっと」
「あっ…」
「あ、あはは。よろしく。君の主?です」




……終われ