燃費が悪い 3

身体の治療が完了して以来、いそいそとホテルの一室を引き払ったケイネスは早々に俺を追い出した。聖杯戦争が中止にはなったがもう少しの間日本には滞在するらしく、単身赴任をする者向けのマンスリーマンションを借りるようだった。
そして、時を同じくして俺は久々に自宅に帰宅したのだった。出奔し、聖杯戦争開始の折に爺さんに会いに行ったきり録に帰っていない自宅は、もはや自宅とは呼べない。郊外に建てられた大きな屋敷がやけに憎たらしかった。
まだ動きにくい足を引き摺り、ゆるりゆるりと身を揺らす。すっかり容姿が以前とは似ても似つかなくなってしまった俺を見た人々は不審な視線を向ける。それは俺だけではなく、ホテルを出て以来俺の横に沿って歩くバーサーカーも同じだった。
平日の昼間から気味の悪い男と外国人が歩いている、なんて不気味としか思えない。だが、次々と向けられる好奇の目が、俺は嫌なわけではない。勿論、髪の色といい、引き攣った痕が残る顔も、今後のコンプレックスにしかならないものだが、これは俺が自ら選んだ結果だ。今更悔やむこともない。そして後悔も今更感じることはなかった。
「…そろそろ着くぞ」
「……」
教会の一件から、コイツは全く言葉を発さなくなった。恐らく、喋ることはできるのだろうが、敢えて話すことを拒んでいるようだ。だからとはいえ、俺はコイツに会話を要求するわけではない。これまでも。今からも。
ただ単純な命令だけを聞く狂戦士の扱いは若干掴みにくい。無表情が板についた顔ももう慣れたものだ。
敷地に入ると、雰囲気だけでもひしひしと拒絶の念を感じる。家に篭ってばかりの爺さんも聖杯戦争が打ち切られた事くらい、とっくのとうに伝達済みなのだろう。きっとご立腹の筈だ。

「靴、脱いで上がれよ」

やはり返答はない。俺の後ろでひょろりとした長身が慣れない仕草で靴を脱いだ。
ケイネス達に必要最低限の衣服を与えられたコイツはやけに情景には馴染まない。元よりコイツは英霊である以前に外国人だ。いくら近所に英国風の作りの家屋が建ち並ぼうと、順応する事はないのだろう。

「…話すことがある。着いてきてくれ」
玄関で振り返った時に言いかけた。声に反応して顔を上げ、目を一瞬見開いたところを見ると、恐らく話す内容は薄々悟っているのだろう。
家に上がり、後ろをとぼとぼと着いてくるバーサーカーは、一見するとサーヴァントには見えない。やけに整った顔も、深海のように深い色をした長い髪も。少しだけ憂いを帯びている表情は、過去にどれくらいの女性を魅了してきたのだろう。やや不健康気味の痩けた頬が痛々しい。

居間に入ると予想通りと言えばそうになるが、がらんどうになったその部屋にバーサーカーを誘導する。ソファに掛けるよう催促すれば、細身の体がちょこん、とソファの隅に身を下ろした。
対岸に掛ける俺の顔を見ようとしないのは何故だろう。狂化が解けて以来、やけに態度がしおらしくなったものだ。
「そこまで気張らなくていい」
「…」
会話の成り立たないこの空間に存在するのは沈黙と時計の秒針の音だけだ。

それから幾ら位時間が過ぎたのだろう。俺が口を開いたのは最初の沈黙からしばらく経った時だった。

「もしかしたらお前も分かってるのかも知れない。もし分かってなかったとしても、どうせ話さなきゃならない事だ」
ごくり、と俺が息を呑む。
「俺の治療が済んだ後、お前、一度消えかかっただろう。今から話すのはそれについてでもあるし、これからの事にも関係している」
実際、バーサーカーが消えかかった事は、目が覚めてから聞いた話だ。 バーサーカーは消えかかった時、俺はまだ相変わらず眠りこけていたのだという。その瞬間を見たケイネスはとっさに俺に魔力を注ぎ込み、バーサーカーの消滅を食い止めたらしい。いつもホテルの部屋の隅で俺をじっと見つめていたというコイツは、消えかかった瞬間、声は出さないもののひどく悲しそうな顔をしたそうだ。
その時ケイネスは気付いたらしい。蟲を取り除いた事で、俺の体内の魔術回路が既に完全に機能していない事に。そのせいでただでさえ燃費が悪いバーサーカーだ。ほんの少しの供給が無いだけでも、ほのかに残った俺の魔力がすぐに燃え尽き、一時的ではあるが消滅しかかってしまったのだ、と。
目を覚ました時、ケイネスに必要最低限の量の魔力を流し込まれ、ただでさえ血の気が引いた顔を更に悪くさせ部屋の隅に佇んでいたコイツには、そのような事情があったのだった。

 「お前、あの時どう思った」
 「……」
 「これだけは答えてくれ。俺はお前に無理を強いているのかもしれないからな」
 「…ただ」

 教会で聞いた以来の声はひどく寂寥感に溢れていた。
 口を開くのさえ嫌がるようなその仕草を、俺は“らしくない”と思った。

 「…ただひらすらに恐ろしかった」
 「恐ろしかった…か」
 「元よりバーサーカーとして召喚された以上、マスターに一方的な苦労をかけることは重々承知でした。それでもこの私を残してくれたことが何より嬉しかった」
 口には出さずとも、コイツがこんなことを考えていたとは。元が騎士であるが故に、主人への念を決して忘れないその姿勢に、少しむず痒くなる。真名をランスロットと言っただろうか。その生き様は壮絶なものだったと聞く。だがしかし、根源に持つのは騎士の精神そのものなのだ。
 「だからこそ、魔術回路からの魔力供給が完全に絶たれ、この身が消えかかったときは言葉も出ないほど、ただただ辛いだけでした」
 「…そうか。ようやく口を開いてくれて助かったよ。それにお前の気持ちが聞けてよかった」
 「故に、これまで主にかけてきた迷惑、苦労、苦痛を忘れたわけではありません。本当ならばこの身は協会であの時消滅しても可笑しくなかったはずだ」
 眉を顰めて悲観的な表情を作るたびに、俺には言いようのない怒りがじわじわとこみ上げてくるのがわかった。テーブルを無意識に指で突き、爪を弾く音が次第に顕著になってくる。
 「…なのに俺はお前を現界させる事を選んだ」
 「…はい。こんな私を置いておく必要など、本来無いはずなのに」
 どんどんと卑屈を並べる目の前の男がどうしようもなく鬱陶しいと感じた。どうせなら、狂化していた時のような傍若無人な態度の方が対応しやすいというものだ。俺も相当な根暗の部類に入るが、ここまで次々と弱々しい言葉を吐かれると、どんな人間でも腹は立つ。
 「…っ」
 「主がお怒りになるのも無理はありません。全て私のせいです」
 まるで“構うな”と言わんばかりの態度に益々嫌気が差した。
 「お前…現界し続けられるって聞いて、嬉しかったのになんで消えたがってるんだよ」
 つい本音が出てしまう。まだ完全に戻りきらない体調を制御しつつ、激昂すると、案の定目をそらされた。悲観的なこの男はどうしようもないらしい。
 「それじゃ矛盾してるだろ」
 「…」
 「現界し続けられて嬉しいなら素直に喜べ。魔力に関しては気にするな。ちゃんと俺がお前を支える、ってあの時言っただろ」
 「だがしかし、私はバーサーカーです。狂化が解けても主にかかるリスクが減るわけでは…」
 「うるさい!」

 年甲斐にもなく怒鳴り声を張り上げる。聖杯戦争中は怒りに身を任せ、幾度か声の出ない喉から必死に声を絞り出したが、今ははっきりと以前のように声を出すことができた。バーサーカーは俺の怒鳴り声に少しだけ肩を竦めると、次こそ完全に目線を床に落とす。
 「…しかし、どうするのです。主の回路が完全に機能しなくなった今、私は魔力を摂取する術を持っていない」
 「……はっきり言えば、そのことについて話がしたかったんだ。それが、これからの事、なんだ」